仕様書は腐らない・使いまわせるという事実。

ちまたでは仕様書不要論があったりしますが、長期的にみるとプログラム
ソースコード)と仕様書とでは読める人口に大きな差がでてきます。


たとえば、30年前に構築されたシステムがありました。
これを今から再構築します。なお、システムはアセンブラ言語で記述しています。
これをJava言語で構築しなおします。


そういった場合にあなたは、アセンブラのソースを読むでしょうか?
それとも仕様書を読むでしょうか?


アセンブラ言語を理解している人ならば両方読むこともあるでしょう。しかしそうでない方は仕様書を読むでしょう。おそらく仕様書のほうが読まれる率は高いと思います。


銀行業務の基盤、特に勘定系システムはCOBOLで記述されていたりするのですが、かなり前から根本のロジックは変更されていません。これをJavaで置き換えるとすると
ソースを利用して、仕様書を利用しない(仕様書がない)場合はCOBOL→置換るための仕様書作成→Javaの手順となりますが。


仕様書を利用する場合(言語に依存していない仕様書に限る)は仕様書→Javaの手順で済みます。


このように仕様書は長い時間を経ても読める人口は極端に減らないということと、他の言語に置き換える場合に使いまわせるという事実は長期的なシステム保守を考える上で重要です。


属人的なアジャイルによる仕様実装の場合に仕様書がないことが本当に問題がないかを考慮する必要がありますが、開発会社と保守会社が別の場合はなかなか考慮不足で保守会社にしわ寄せが来たりもします。


SLCPにおいてフルスタックなプロセスを考えてみたいものです。