オープンソースでフレームワーク創っている人は努力家である。

オープンソースフレームワークを創っている人は努力家であると思う。


なぜならば、フレームワークは効率化のための手段のひとつであり、
効率化を求めている人はつまり、努力家なのである。


よく地道な努力とかたゆまぬ努力とか言うが、ソフトウェアを作ることに
関して言えば時間を掛ければそれなりのものが作れるだろう。


これは数学で言うと、
たとえばXの階乗の答えを単純計算するような地道な作業に似ている。


しかし、私は数学もしかりだけどもソフトウェアもただ時間を掛けて作るということ
にすばらしさを感じない。


地道さも大切なんだけどもそれって本当に努力?
場合によってはあきらめに近い気がする。


達成される目標は同じでも、時間だったり、コストだったり、違いは絶対ある。


その目標達成のためにした努力が
1.地道な努力・たゆまぬ努力
2.最善の努力


一概には言えないが1と2の大きな違いは深く考えるかどうかだと思う。


そうした場合にどっちの方がすばらしいだろう。私は2だと思う。
場合によっては最善の努力が1になる場合もあるだろう。


考えることはすばらしいことなんだけども、考えるのを断念して、地道な努力を選択するのはあきらめなんじゃないかと思う。


あきらめたらそこで終わりですよ。


オープンソースフレームワークを創っている人は目的はそこではないけども
目的達成のためにいろいろ考えている。それが努力家といわずなんと呼ぶのだろう。


オープンソースを組み合わせてフレームワークを創る人も含まれます、
また、あくまでもフレームワークを創っている人がそうだろうということで
創ってない人は努力家でないとは限りません。